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第5回キャンプ 11月3〜5日(吉野川中流:善入寺島)
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第4回キャンプ 10月7〜9日(吉野川下流:第十堰)
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第3回キャンプ 8月18〜20日(吉野川上流:本山町)台風のため中止
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第2回キャンプ 7月15〜17日(鮎喰川)
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第1回キャンプ 6月17〜18日(吉野川下流:第十堰北岸)
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第5回研修 6月10・11日(直前ミーティングと研修)
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第4回研修 5月20・21日(講師から技術を盗め・日和佐編)
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第3回研修 5月3〜6日(吉野川カヌー川下りキャンプ研修)
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第2回研修 4月22・23日(野外生活技術・キャンプカウンセリング)
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第1回研修 4月1・2日(川の学校のねらい・第十堰の遊学)
第4回研修 5月20・21日
講師から技術を盗め・日和佐編
※「実地研修:吉野川まるあそび」中止により,急遽プラン変更!
4回目となる今回の研修は、川の学校の母体である吉野川シンポが主催する「吉野川まるあそび」の手伝い。
人手が足りないのもあるが、野田さん、雑魚党さん、リンさんといった錚々たるメンツの川遊びに関する技術、知識をスタッフに間近で見させ、盗ませようというのが主な目的だった。
ぼくは前日入りしていたが、天気が芳しくない。山の方では分厚く黒い雲が裾までを覆っている。相当な土砂降りになっているのだろう。
当日朝、善入寺島に向かう。途中、第十堰を通ったが、水は完全なコーヒー色、堰を完全にオーバーフローしているのを見てドライバーの犬伏氏(以下わんちゃん)が言った。
「こりゃあ無理だ。中止かなぁ・・・」
善入寺島へと渡る沈下橋(徳島では潜水橋と言う)は、昨夜のダムからの放流で冠水していたのだろう。大小の流木が橋の上に鎮座して通行止めになっていた。前日入りしていた参加者の女の子がテントを張っていた川原も水没している(その女の子は昨夜に下見をした時に危険を説明して撤収し、スタッフの宿泊所に泊めた)。
その場で中止が決定。暫しの間、皆呆然としていたが、事務局の小畠氏(以下ちち)の交渉の結果、スタッフだけで日和佐川での研修を兼ねて野田さんの家に遊びに行くことになった。
ぼくにとっては3回目の日和佐川は増水はしていたものの、やや白みがかった笹濁り程度で、泥流と化していた吉野川本流とは雲泥の差だった。
雨量や川の規模の違いがあるにしても、ダムのあるなしでこれほどまで差が出るという事に改めて驚いた。山の木の違いもあるのだろう。日和佐の山は針葉樹と広葉樹が程よく混じった混交林が多く、林道建設や杉などの植林とその放置で荒れ果てた吉野川源流部と比べると大分豊かな森が広がっているのだろうと想像がつく。
新築の野田さんの家は木造でちょっとした山小屋程の広さがある。広い庭には周囲50m程の池が造って在り、浮かんでいるアルフェックのフォールディングカヤックには犬のアレックスが乗っていて、まるで映画のワンシーンのようだ。 テントを張り、すぐ傍の沢を少し登って堰堤の下で潜ってみた。ザリガニ、テナガエビ、アブラハヤ、カワムツが多い。
暫くすると雑魚党さんとリンさんもやってきた。池で、ハエナワとカニカゴのエサ用の雑魚を釣って、皆で下の川へと繰り出す。皆、茂みの脇や石堤の脇など思い思いのポイントにハエナワ仕掛ける。
持参のカニカゴを仕掛けようとしていると野田さんが言った。「ぼくの経験では、橋の下が結構良いポイントだね」
これは初耳だったので、早速橋の下の浮石の横に沈めてみる。
野田さん邸に戻ると晩飯の準備。
ぼくはリンさんに教わりながら、羊の塩煮作りを手伝う。
内臓を抜かれた羊を、ナタと大きなナイフで背骨と肋骨に沿って拳大の肉に切り分けてズンドウで茹でる。モンゴル関係の本を読むと、向こうは基本的に焼肉はせず、羊は煮るだけで、臭みが強くて日本人には喰えたものじゃないといった話が良く出てくるのでリンさんに訊いてみた。
「向こうは家畜を喰べる時は、血の一滴も大地に零してはならないっていう掟があるから、アク抜きも血合いの処理もしないんだよ。だから臭くて日本人には不味く感じるんだ」
言われてみればそう聴いたことがある。きちんと処理をすれば、似ても美味しく喰えるとの事。
そのままだと臭くてかなり脂っこいので、一回茹でたものを、煮汁を捨てて肉片を水洗いし、再び茹でて塩で味付けする。プロの料理人のちょっとしたテクニックを聴けて非常に面白い。
こまめにアクを取りながら黒胡椒を投入し、1時間程煮込んで完成。マスタードをつけて喰う。喰う!喰う!!
いやいやいや、まずい訳がありませぬ。
煮込みの間には、雑魚党さんのスライドショーを見る。懐かしい吉田川(長良川の支流)の風景をはじめ日本各地での漁労の成果、川ガキ達の姿を堪能させて頂いた。
羊を喰いながら、リンさんの話を聴く。渓流釣りの話から、多摩川で遊んだ少年時代の話など。
こんな言葉が印象に残った。 「あのなぁ、アウトドアや沢釣りなんかにゃ道具なんて大して必要ないんだよ。一人で沢に入って経験を積みなさい。信ずるに足る知識と想像力と判断力があれば道具なんて最小限でいい。」(意訳)
「あたしがガキの頃はね、子供は縦社会だったからね、経験豊富な上級生やガキ大将の言葉は絶対だったし、誘われたら断れ無かったよ。野田さんが中野に住んでた頃、よく那珂川辺りに行ったけど、次の日仕事でも下り終わった後に野田さんに飲みに誘われたら断れる訳ないでしょうが?帰りが夜中の3時でも4時なってもね。」(意訳)
スタッフ(?)のくまさんは現役の中学校教師だが、やはり中学生でも人付き合いの悪さ、身勝手さというのが昔に比べて大分目だってきているらしい。ぼくの居た大学でも入学した頃と卒業した頃では大分人と人との付き合い方や先輩と後輩の繋がりがかなり変化していたが、日本の社会全体の風潮なのだろうか。良い意味での縦の関係というのがどんどん薄れていっているような気がした。
スライドショーが終わった後は、差し入れのビールや四万十産の栗焼酎「ダバダ火振」を飲みながら野田さんや雑魚党さん、リンさんやスタッフと歓談。わんちゃんにロープワークも教わる。今まで釣具でも何でも適当に結んできたが、やはりきちんと勉強せんといかんなと思わされた。こういうのは実際に使ってみないとなかなか覚えられないから尚更だ。
一晩中でも飲んでいたかったが、明日が早いので早めに寝る(といっても1時頃だったけれども・・・)。
朝6時、野田さんの倉庫の中に敷いた寝袋の中から起き出して、早速昨日仕掛けたハエナワ、カニカゴを揚げに行く。
どんな獲物が何匹くらいかかっているのだろうと考えながら仕掛けの場所まで歩く時間は、何回やっても胸がドキドキして楽しいものだ。
カゴを揚げる瞬間、中の獲物が蠢いている姿は子供でも大人でも堪らない。 この日は2つのカゴにモクズガニが一匹ずつ。ハエナワのほうはは残念ながら殆ど全滅だったが、スタッフの一人のハエナワにでっぷりと肥った巨大なカワムツがかかっていた。ナマズ獲りたかったなぁ。
朝飯を掻っ込んで日和佐川本流へと向かう。
雑魚党さんや野田さん、リンさんから直接魚獲りを教えて貰う貴重な機会だ。 本流のやや下流、川原が広がっている場所に到着。
荷物を降ろし、準備が終わった瞬間にスタッフのシュウ(30代)がシュノーケルと水中眼鏡をつけて碧い淵に向かってダッシュする姿を見てちちが言った。
「ああいうのを川ガキって言うんよ」
まずはタモ網や四手網を使ったガサ入れ。
岸近くの茂みや流木浮石の近く等の下流側に網をスタンバイさせ、その茂みや石ころを踏みながら網に追い込んでいく。網で捕まえるというより、網に追い込むのだ。
追い込む時に、割とゆっくりと入念に踏んでゆくのがコツだそうだ。
川底の浮石をひっくり返すとテナガエビが居るので、これもタモ網で獲る。
イモリ、ヌマエビ、テナガエビ、シマドジョウ、ナマズの稚魚、ジンゾク(ヨシノボリ)、ウキゴリ、カワムツ、メダカ、アユの稚魚、アブラハヤ等が大量に獲れた。
その後、野田さんの話を聴きながらヤス漁の実践。
これはというような岩の下、テトラの隙間等を探ってみたが、小魚ばかりで突きの対象になるような魚が殆ど居ない。増水で流されてしまったのだろうか。う〜ん悔しい。
野田家に帰って昼飯。
イモリ以外の収穫は全て唐揚になって皆の腹に納まった。
当然と言えば当然だが、店のテナガエビの唐揚より自分達で獲ってきたばかりのほうが断然旨い。アレックスも物欲しそうな顔をして唐揚を見ていた。こいつは甘えん坊で、前肢を抱くようにして抱え上げると幸せそうな顔をしていつまでもぶらさがっている。ぼくの顔を覚えてくれたかな〜。
雑魚党さんとリンさんを見送って撤収し、野田さんとお別れ。「また秋に来い」と野田さん。
緊張して余り野田さんに積極的に話しかけられなかったのが心残りだ。なんせ小学校のガキの頃からぼくにとっては神様みたいな人だでなぁ。
災い転じてというか、まるあそびが中止になったお陰でこんな貴重な機会が持てた訳で。とても充実した二日間であった。
2時間かけてちちの家に戻って装備の後片付け、各自の振り返りや反省等を話し合い、徳島駅まで送って貰って解散。
バス待ちの数人で飲む。
皆川の学校や子供達のことをしっかりと考えていて嬉しかった。馬鹿騒ぎする飲み会も嫌いではないが、皆が真剣に(時折下ネタやバカ話等も交えつつ)語り合える酒席はやはり楽しい。
次回最後の研修は3週間後、ぼくは秋田の釣行から徳島へ直行だ。イワナと山菜どっさり獲ってきちゃるぞぉ〜。
報告:タロウ(川の学校第6期スタッフ)